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高松地方裁判所 平成3年(ワ)282号 判決

原告

合田裕美

合田知恵子

合田修三

右原告ら訴訟代理人弁護士

小笠豊

被告

三豊総合病院組合

右代表者管理者

高原晴美

右訴訟代理人弁護士

森脇正

主文

一  被告は、原告合田修三に対し金一六三七万一八〇〇円、同合田裕美及び同合田知恵子に対し各金一一〇〇万円並びに右各金員に対する平成元年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その八を被告の、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告合田修三に対して、金二三六〇万円及びこれに対する平成元年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告は、原告合田裕美及び同合田知恵子に対して、それぞれ金一一二〇万円及びこれらに対する平成元年一一月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

3  仮執行免脱宣言

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告合田修三(以下「原告修三」という。)は、亡合田明子(昭和一二年二月二六日生、以下「明子」という。)の夫であり、原告合田裕美(以下「原告裕美」という。)及び同合田知恵子(以下「原告知恵子」という。)は、原告修三と明子との間の子である。

(二) 被告は、四町と一市をもって組織された事務組合であり、その肩書地に三豊総合病院(以下「被告病院」という。)を開設し医療業務を営んでいるものである。

2  本件医療事故に至る経過

(一) 明子は、平成元年八月末頃から右肩(頸)部の腫脹に気づき、同年(以下、年度の表示のないものは平成元年を示す。)九月九日、被告病院の整形外科外来で受診し、視診、触診を受けたうえ、消炎鎮痛剤の投与などの治療を受け、九月一八日に実施された頸部CT検査の結果、右側頸部に三センチメートル程の腫瘤が認められたため、担当医に手術を勧められ、入院することとなったが、当時被告病院に空床がなかったためベッド待ちをすることとなった。

(二) 明子は、被告病院において、九月二一日に腫瘍マーカー(CEA、AFP)検査を受けた。さらに、明子は、一〇月五日には超音波(エコー)検査を受け、「軟らかい」との診断を受け、一〇月一二日に血清トランスアミナーゼ(GOT、GPT)検査及び乳酸脱水素酵素(LDH)検査を受けた後、一〇月一七日に右腫瘤の検査と手術のため被告病院に入院した。明子は入院後、造影(エンハンスト)CT検査を受けた後、一〇月一九日に再度腫瘍マーカー検査を受けたほか、脊髄造影(ミエログラフィー)検査を受けた。明子の受けた右腫瘍マーカー、血清トランスアミナーゼ及び乳酸脱水素酵素検査の結果はいずれも正常値を示していた。

3  本件医療事故の発生

(一) 明子は、一〇月二三日、右腫瘍について血管造影検査を受け、左鎖骨下動脈、腕頭動脈、椎骨動脈につき順次撮影がなされた(以下「本件血管造影」という。)。右検査は、全部で一時間程度の予定だったが、実際には二時間半程度かかった。右検査の後、回復室に帰ってきた明子は、原告修三に「頭が痛い。気分が悪い。」、「検査中に頭痛と吐き気がして止めてほしいと言ったが、検査を止めてくれなかった。」と訴えた。検査を担当した被告病院の医師橘敬三(以下「橘医師」という。)は「途中で頭痛と吐き気を起こしました。」「念のためにCTを撮りましたが異常はありませんでした。」、「頸の腫瘍については、多分悪性のものではないと思いますが、開けてみないと判りません。」と説明した。

(二) その夜、明子は頭痛と吐き気がますますひどくなり、三度嘔吐した。付き添っていた原告修三らは明子がひどく苦しむため、何度も主治医を呼んだところ、しばらくして橘医師が来て、「大分えらいようやなあ。」と言ったが、何の処置もしないまま「大丈夫です。」と言って、帰ってしまった。その後、明子はいびきをかき始め、一〇月二四日午前四時二〇分過ぎころ突然心停止と呼吸停止に陥り、ICU室に移された。

(三) 明子はICU室に移された後、いったん蘇生したが、その後も意識は回復しないまま経過し、約一ヶ月後の一一月二一日に死亡した。明子の直接の死因は、脳卒中による急性呼吸停止である。

4  被告病院の過失

(一) 適応のない検査を実施した過失(及び手術決定の誤り)

(1) 血管造影の危険率は、脳梗塞やTIA(一過性脳虚血発作)などの神経合併症の発生の可能性が約四パーセント、永続的な後遺症を残す可能性が約一パーセント、死亡の可能性が0.1パーセント未満であって、高齢者や脳血管障害患者ではさらに頻度が高くなるので注意を要するものとされている。そして、血管造影(動脈造影)は、頸部の腫瘤形成性疾患で適応となることは少なく、適応のある腫瘤は血管原性腫瘤、動脈瘤、右下顎部に拍動性腫瘤として触れ動脈瘤と鑑別を要する蛇行性の右鎖骨下動脈、巨大で浸潤性の甲状腺癌、まれな頸動脈球腫瘍、脊髄腫瘤などに限らている。

(2) 本件では、明子の腫瘍の性質について、前記2のとおり一〇月二三日までに実施された各種の検査により、血管原性腫瘍、動脈瘤、脊髄腫瘤などの悪性腫瘍の可能性はほぼ否定されており、良性の嚢胞性リンパ管腫であるとの診断が可能であった。したがって、腫瘍の鑑別診断のために本件血管造影(動脈造影)をする適応はなかった。

(3) また、手術を前提に術前検査として血管造影を必要とする場合があるとしても、明子の頸部腫瘍は、良性の嚢胞性リンパ管腫であるから、腫瘍が大きくなって、血管や神経や気道を圧迫し、脳虚血などの症状が出るようになるまで経過を観察し、それから手術を考えれば十分な疾患であり、本件血管造影の実施された当時には、このような明子の腫瘍に対して摘出手術を前提とする術前検査として本件血管造影を行う必要はなかった。

しかるに、被告病院は、前記2記載のとおり、診断の通常の手順を逸脱して、視診、触診及び頸部CT検査の結果のみで手術を決定して明子を入院させ、さらに、本件血管造影をなす前にそれまでに実施された侵襲性の少ない検査の結果を総合して慎重に手術の可否を判断することなく、手術を前提として侵襲性の高い本件血管造影に及んでいるのであるから、被告病院にはこの点で過失がある。

(4) 仮に、本件において腫瘍の鑑別診断や術前検査の目的で明子の腫瘍につき血管撮影を行う必要があったとしても、右の目的で脳血管撮影に該当する椎骨動脈撮影を行うまでの必要はないから、このように不必要かつ危険な検査を実施した点で被告病院には過失がある。

(二) 説明義務違反

血管造影の危険率は右(一)(1)記載のとおりかなり高いものであるから、医師は患者本人に右検査の目的、内容、必要性、危険性及び副作用、合併症の発生頻度、担当者の血管造影の経験数、合併症の経験数等及び患者の疾病の状況につき正確かつ詳細に説明をなし、その上で検査を受けるかどうかにつき患者本人の承諾を得る必要がある。しかるに、被告病院の担当医師は右義務に違反して、明子に対し、「安全な検査です。」といった程度の大雑把かつ不正確な説明しか行わず、しかも、本件血管造影の前には客観的にいって右(一)(2)のとおり明子の腫瘍はほぼ良性のものであるとの診断がつけられる状況にあったにもかかわらず、良性の腫瘍の可能性が高いとの事実を述べず、それどころか癌の疑いがあると述べているのであるから、この点で被告病院には過失がある。

(三) カテーテル操作上の過失

(1) 本件血管造影には一五時から一七時まで二時間かかっているところ、血管造影は通常一時間程度で終えるものであり、二時間もかかっていることからしても担当医師の手技が未熟であったことが推認できる。

(2) 本件血管造影の担当医師は、腕頭動脈の撮影後、椎骨動脈を撮影する目的でカテーテルを椎骨動脈に進入させようと何度もやり直し、カテーテルを折り曲げるようにしてやっとのことで椎骨動脈に入れたため。血管に対する刺激が強くなり、このことによって明子は血管攣縮を起こし血流低下から血栓形成、脳梗塞に至ったものと考えられる。本件事故の原因はこのような担当医のカテーテル操作の未熟さと粗雑さにあり、被告病院にはこの点で過失がある。

(四) 造影剤選択の誤り

被告病院の担当医師は、本件血管造影の造影剤としてイオパミロン370を使用している。椎骨動脈撮影は、脳血管撮影である。ところが、イオパミロン370はヨード含有濃度及び粘稠度が高く、刺激が強いため、その添付文書の効能・効果において脳血管撮影に使用することは予定されておらず、脳血管撮影にはより濃度の薄いイオパミロン300を使用することとされている。しかるに、被告病院の担当医師は、そのイオパミロン370を添付文書の使用法に反して脳血管撮影である椎骨動脈撮影に使用したものであり、このような使用法の結果事故が発生した場合、特段の合理的理由がない限り、医師の過失が推認される(最高裁第三小法廷平成八年一月二三日判決)。

(五) 造影剤の過剰使用

前記のとおり、椎骨動脈撮影は脳血管撮影である。一般に脳血管撮影の際の造影剤の一回の使用量は六ないし一三ミリリットルとされているところ、明子に対して合計三回の撮影に八〇ミリリットルもの造影剤が使用されているから、造影剤の使用が過剰である。

(六) 撮影の中止義務違反

(1) 血管造影の際、患者が頭痛や吐き気を訴えた場合、検査はすぐに中止するのが通常の検査方法である。

(2) ところが、明子は一六時頃に頭痛や吐き気を訴えたのに、担当医師は、その後も一七時頃まで撮影を続行しているから、被告病院の担当医師にはこの点で過失がある。

(七) 造影剤の副作用に対する治療処置の誤り

(1) 血管造影により患者が頭痛、嘔吐などの異常を訴えた場合、直ちに抗凝固剤やステロイド剤を使用し、脳浮腫を防ぐための治療を開始すべきである。

(2) ところが、被告病院では前記3(二)記載のとおり、主治医も看護婦も明子の訴えを軽視し、早急な対応をしなかった過失がある。

5  因果関係

(一) 適応のない検査を実施した過失について

明子は、本件血管造影のうち椎骨動脈撮影の際に、乱暴なカテーテル操作または造影剤が刺激となって、小脳、延髄付近に血管の攣縮を起こし、あるいは血栓を生じて、そのため、脳出血、脳浮腫から、脳ヘルニア、血行障害が惹起され、二次的な血栓が形成され、脳軟化、髄膜炎を合併してレスピレーター脳症の状態を経て死亡したものである。したがって、本件血管造影(特に椎骨動脈撮影)を実施していなければ明子は死亡しなかったものであるから、適応のない検査を実施した被告病院の過失と明子の死亡の間には相当因果関係がある。

(二) 説明義務違反について

明子は、自己の腫瘍が癌ではないかということを心配していたため、担当医師から癌の疑いがある旨告げられてやむなく本件血管造影を受けることにしたものである。しかしながら、自己の腫瘍につき癌の疑いはほとんどなく、良性の腫瘍で、放置しておいてもほぼ大丈夫であることを説明され、かつ、血管造影の有する危険性につき具体的に説明されていれば、明子が本件血管造影を受けることを承諾することはなかったと考えられるから、被告病院の説明義務違反と明子の死亡の間には相当因果関係がある。

(三) カテーテル操作上の過失及び造影剤選択の誤り

右(一)記載のとおり、明子の死亡の原因となった脳梗塞は、担当医師のカテーテル操作上の過失または造影剤選択の誤りから生じた血管の攣縮または血栓の形成がきっかけとなって生じたものであると考えられるから、右各過失と明子の死亡の間には相当因果関係がある。

6  責任原因

(一) 医療契約不履行

被告は、明子が被告病院に入院するに当たり、明子との間で、総合病院として最善の注意義務を払って諸検査を実施し、その後の治療にも当たる旨の医療契約を締結した。

しかるに、被告病院の担当医師及び看護婦の前記4記載の各過失は右医療契約の本旨に反した重大な注意義務違反であり、被告は医療契約不履行に基づき明子の死亡により発生した損害を原告らに賠償すべき責任を負う。

(二) 不法行為

被告病院の担当医師及び看護婦の右注意義務違反は、同時に不法行為にも該当するところ、被告病院の担当医師及び看護婦は被告の被用者であるから、被告には民法七一五条の使用者責任または国家賠償法一条一項の責任がある。

7  損害

(一) 逸失利益 金二〇〇〇万円

明子は、本件事故時五二歳であり、本件事故がなければ、少なくとも一五年は就労可能であった。本件事故当時の五二歳の女性の平均年収は金二六九万三四〇〇円である。そして、一五年間に明子が得べかりし利益について、中間利息の控除をホフマン方式により行い、生活費として収入の三〇パーセントを要するものとして計算すると、その金額は二〇〇〇万円を下らない。

原告修三は、明子の夫として右逸失利益の二分の一を、原告裕美、同知恵子は、明子の子として各四分の一を相続した。

(二) 慰藉料合計金二〇〇〇万円

明子の死亡に伴い原告らに発生した精神的損害を慰謝するためには、夫である原告修三に対して金一〇〇〇万円、子である原告裕美、同知恵子に対して各金五〇〇万円をもってするのが相当である。

(三) 墳墓・葬祭費金一〇〇万円

原告修三は被告明子の死亡による墳墓・葬祭費として右金額を負担した。

(四) 弁護士費用

合計金五〇〇万円

原告らは本訴提起を原告ら代理人に依頼した。被告の負担すべき弁護士費用としては、日弁連報酬等基準規定による手数料及び謝金である合計金五〇〇万円(原告修三につき金二六〇万円、原告裕美及び同知恵子につき各金一二〇万円)が相当である。

8  本訴請求

よって、原告らは、被告に対し、債務不履行または不法行為に基づき、原告修三は金二三六〇万円、原告裕美及び同知恵子はそれぞれ金一一二〇万円及びこれらに対する明子死亡の日である平成元年一一月二一日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の各事実は認める。

2  同2の各事実は認める。

3(一)  同3(一)の事実中、検査が二時間半程度かかったとの点は否認、明子の原告修三に対する訴えの点は不知、その余は認める。

明子が造影室に在室していたのは二時間半程度であったが、検査には約四五分かかっているにすぎない。

(二)  同3(二)の事実中、頭痛と吐き気がますますひどくなったとの点及び何の処置もしないままとの点は否認、その余は認める。頭痛と吐き気は少なくとも憎悪はしていなかった。

(三)  同3(三)の事実は認める。

4(一)  同4(一)(1)の事実は、脳血管撮影の場合重篤な合併症を起こす危険性があり、その頻度は四パーセント前後であるとの限度で認め、その余は知らない。同(2)ないし(4)はいずれも否認する。

(二)  同4(二)の各事実は否認する。

(三)  同4(三)の各事実中、無理なカテーテル操作による刺激が合併症の一つの原因となることは認めるが、本件のカテーテル操作に関する事実は否認する。

(四)  同4(四)の事実中、本件血管造影にイオパミロン370が使用されたこと、椎骨動脈撮影が脳血管撮影にあたること及びイオパミロン370の添付文書の記載内容は認めるが、その余は争う。

(五)  同4(五)の事実は否認する。

(六)  同4(六)(1)の事実は認める。同(2)の事実中、明子が一六時頃に頭痛や吐き気を訴えた事実は認め、その余は否認する。

(七)  同4(七)(1)の事実は認める。同(2)の事実は否認する。

5(一)  同5(一)の事実中、明子がレスピレーター脳症の状態を経て死亡した事実は認め、その余は否認する。

(二)  同5(二)の事実は否認する。

(三)  同5(三)は争う。

6  同6の各主張は争う。

7(一)  同7(一)の事実中、明子が本件事故時五二歳であったことは認め、その余は知らない。

(二)  同7(二)及び(三)の事実は知らない。

(三)  同7(四)の事実中、原告らが本訴提起を原告ら代理人に依頼した事実は認め、その余は知らない。

三  被告の主張

1  被告病院の過失について

(一) 血管造影の適応について

(1) 血管造影検査は、検査機器や造影剤の改良により検査方法として安全性に耐えうるものと判断されているために、全国の医療機関において採用され、普遍的な検査手段として確立されるに至ったものである。血管造影における副作用として、微熱や頭痛、吐き気等が一〇〇例に何例か生じることは事実であるが、死亡に至るような重篤な副作用を生じるのは何万例に一例程度のほとんど希なケースに過ぎないのであり、血管撮影の危険性を過度に強調すべきではない。

(2) 被告病院は、本件血管造影が行われた一〇月二三日までに、視診、触診、X線撮影、CT検査、エコー検査、血液検査等の必要となる周辺的諸検査を実施しており、その結果、本件腫瘍が嚢胞状のもので、神経鞘腫や悪性腫瘍である可能性はある程度低くなったものの、甲状腺癌の転移巣は嚢胞状を呈することがあることや、明子には左足底部等に痛み・しびれ等の症状があったことも考慮するならば、依然として明子の腫瘍が神経鞘腫や悪性腫瘍である可能性は否定できない状態にあった。また、血清トランスアミナーゼ値や腫瘍マーカーの検査数値は必ずしも癌等の悪性腫瘍の発症を正確に反映するとは限らないから、この時点で明子の腫瘍について多房性リンパ管腫の確定診断を下すことは困難であったし、多房性リンパ管腫は幼児に発症するのが通常で、明子のような高齢者に発症することは極めて希な疾病であることからすれば、むしろ明子については年齢的には悪性腫瘍を疑って検査を勧めることが、通常の医師として当然の判断であった。そして、癌等悪性腫瘍であれば、血管造影によって周辺組織への血管の浸潤状況が明らかになり、鑑別診断のための有用な情報が得られるから、本件血管造影は鑑別診断のためにも有意義な検査であった。

(3) また、明子は、九月九日の初診時から右親指、頸部、左足底部等に強い痛みを訴え、本件腫瘍とこれらの痛みに対して不安を抱いて自ら入院を強く希望している状態で、医師としてそのまま放置しておくことができない状況であったから、たとえ本件腫瘍が結果的に良性のリンパ管腫であったとしても、摘出手術の適応があった。そして、頸部腫瘍の摘出手術を計画する場合には、頸部の解剖学的特性から、腫瘍と神経、特に腕神経叢並びに腫瘍と動静脈との関係を術前に十分熟知することは手術を安全かつ確実に行うために必要であり、術前検査として本件血管造影は必要な検査であった。

したがって、悪性腫瘍や神経鞘腫の疑いの下に、最終的には摘出手術を予定して明子を入院させ、検査を進めていった被告病院の対応に落ち度があったということはできない。

(二) 説明義務の履行について

(1) 被告病院の担当医師は、一〇月二一日、明子に対し、「右頸部にできものがあります。治療としては手術を行わなければならないと思いますが、血管や神経などできものの周囲にいろいろなものがあるところです。その状態を確認する必要があります。また、血管の多いできものであれば多量の出血が予想されます。」と述べ、本件血管造影の必要性について説明し、次いで、「右の股の動脈より長いチューブを入れ、動脈を通じてできものの近くの血管まで先を進め、造影剤を流し撮影します。危険性としては、造影剤の副作用、ショックになる可能性があり、絶対に安全な検査とはいえません。」と本件血管造影の方法とその危険性にも言及した。これに対し明子は、「よろしくお願いします。」との返事をしている。また、本件血管造影の担当医師も、検査当日の一〇月二三日の朝の回診時に造影剤のテストを行い、その時に検査の方法及び危険性について説明してもらったかどうか、以前にアレルギー様の症状があったかどうか確認したところ、明子はこれに対して「説明を受けました。アレルギーはありません。」との返事をしている。

(2) また、明子は原告修三と、検査前の一〇月二一日に、血管造影の危険性を前提とした会話をしているから、被告病院の説明の有無いかんにかかわらず、明子が本件血管造影の危険につき十分に認識していたことは明らかであり、このような場合、説明義務違反は問題となりえない。

(三) カテーテル操作について

本件血管造影は、通常なら一時間ないし一時間半位かかってしかるべきところ、橘医師は当日午後三時一五分から午後四時までの約四五分間で手際よく終了させており、原告らが主張するようにカテーテル操作が何回も繰り返された事実はない。橘医師は、本件血管撮影の手技として、腕頭動脈撮影、左鎖骨下動脈撮影、椎骨動脈撮影の三回のフラッシュを行った他、血管の分岐点での方向確認、カテーテルの方向修正等のため、何回かにわたって造影剤のフラッシュを行ったものであるが、その回数が極端に多かったということはなく、カテーテル操作に特に不適切な点があったとはいえない。

(四) 造影剤の選択について

イオパミロン370の添付文書には、脳血管撮影の効能、効果は記載されていないが、これは、血管撮影の目的が脳血管のみに限定されている場合には、大血管や四肢末梢血管の場合と違い、造影剤の濃度が血液によって薄まることなく脳血管自身が鮮明に造影され、イオパミロン300で十分であるという意味が含まれている。本件血管造影の中、腕頭動脈撮影及び左鎖骨下動脈撮影は選択的血管撮影であって、脳血管撮影ではない。そして、イオパミロン370の添付文書には、同造影剤を使用して選択的血管撮影を行うことができる旨記載されている。

また、椎骨動脈撮影は脳血管撮影の範疇に属するといえなくもないが、本件の椎骨動脈撮影においては、カテーテルの先端が椎骨動脈内に一センチメートルしか入っておらず、造影剤が右動脈内に流れ込んで希釈されることを考慮するならば、右撮影にイオパミロン370を使用することが禁忌に当たるとはいえず、明確な造影効果を得る必要性があったこと、脳血管撮影について、過去に濃度の高い七六パーセントウログラフィンを使用したとの報告例もあって、単にヨード含有濃度及び粘稠度が高いことから副作用の危険性を判断することも相当でないことをも考慮すれば、椎骨動脈撮影にイオパミロン370を使用した担当医師の判断が不適切であったとはいえない。

(五) 造影剤の使用量について

六ないし一三ミリリットルの使用制限は、典型的な脳血管撮影の場合に用いられる基準であるが、本件で実施された左鎖骨下動脈撮影及び腕頭動脈撮影は脳血管撮影ではなく、選択的血管撮影であるから、右基準は本件血管造影には当てはまらない。また、橘医師は、左鎖骨下動脈撮影時に二〇ミリリットル、腕頭動脈撮影時に一〇ミリリットル、椎骨動脈撮影時に八ミリリットル、合計四〇ミリリットル程度の造影剤しか注入しておらず、八〇ミリリットルもの造影剤を使用した事実はない。

(六) 検査の中止について

本件において、橘医師は、椎骨動脈撮影を行った直後の一六時に明子が頭痛と吐き気を訴えたため、直ちにカテーテルを抜去して検査を終了しており、一七時頃まで血管撮影を続行した事実はない。

(七) 造影剤の副作用に対する治療処置について

橘医師は、本件検査当日午後四時に、明子が頭痛・吐き気を訴えたため、造影剤の副作用を疑い、直ちにカテーテルを抜去し、脳浮腫の予防も含めてアレルギー反応に効果のあるステロイド剤のソルメドロール五〇〇ミリグラムの点滴を行い、状態が改善しないことから、さらにソルメドロール五〇〇ミリグラムを静注投与した。さらに、橘医師は、速やかに造影剤を体外に排出させ、副作用の改善を図るため、利尿剤のラシックスを追加投与した。次に、橘医師は、明子の症状が造影剤の副作用によるものか、脳梗塞ないし脳出血によるものかを造影室内で脳外科医と検討し、脳内出血であれば抗凝固剤の使用が症状の憎悪を招くおそれがあることから、経過観察の後、全身状態が落ち着いてから、直ちに脳内のCT撮影を行ったが、この時点でCT上明らかな異常像はみられなかった。そこで、橘医師は、当日午後五時頃、明子を造影室から搬出して病棟に戻し、血液代用剤であるサビオゾール五〇〇CCと血栓溶解剤であるウロキナーゼ六万単位の投与を行ったうえ、原告らに対して経過観察の要を説明し、全身状態の急激な変化も予想されるので、心電図モニターをセットして、全身状態の観察を行った。その後も、明子には頭痛・吐き気・めまい等の症状が継続し、体動も激しく不穏状態が続いたため、被告病院は静穏薬であるセルシンを適宜使用した。

明子は、翌二四日午前二時より入眠し、血圧・呼吸とも安定していたが、午前三時より急激に血圧の上昇が起こり、午前三時三〇分には血圧が二〇〇を示したので、担当医師は降圧を試みた。その後、明子は、午前四時二〇分に突然、心停止・呼吸停止の状態に至ったため、担当医師は、麻酔科医に応援依頼を行い、蘇生措置を施し、その後、集中治療室へ転室させて明子の治療に当たったが、その甲斐なく、明子は意識の回復しないまま同年一一月二一日に死亡したものである。

以上のとおり、被告病院は、明子が頭痛・吐き気等の症状を訴えた後、症状の改善を図るため、できうる限りの検査・治療を行っており、その治療処置に不適切な点はない。

2  本件血管造影と明子の死亡との因果関係について

(一) 明子死亡の原因が、造影剤の副作用にあるのであれば、血管撮影を開始し、造影剤を注入した直後に血圧低下等が発症するはずであるが、本件血管撮影の終了間際に起こった明子の症状には血圧低下等が見られなかった。

(二) また、明子には、脳底動脈硬化症が存在し、脳動脈の器質化と再交通の所見があったことにも照らすと、明子は本件医療事故以前にも脳動脈閉塞を起こしていることが窺われ、このような血管障害を起こしやすい明子の体質が本件事故に大きく寄与していたことは否定できない。したがって、仮に本件血管撮影が本件事故に関し何らかの引き金になったとしても、それは単なるきっかけに過ぎず、明子に潜在的に備わっていた脳底動脈硬化症等の結果、血管障害を起こし易い脳組織の病変・体質が原因となって、いずれ生ずるべき脳梗塞等の脳血管障害が、本件血管撮影時にたまたま不幸にして発症してしまった可能性も否定できない。

仮に本件血管造影と明子の死亡との間に何らかの関連性が認められるとしても、本件血管造影時に被告病院の医師が明子に潜在していた脳組織の病変等を予見することは不可能であったから、本件血管造影と明子の死亡の間には相当因果関係はないというべきである。

3  損益相殺

原告修三は、平成五年四月ころ、医薬品副作用被害救済・研究振興基金から、遺族一時金として金六〇〇万一二〇〇円、葬祭料として金一二万七〇〇〇円の支払を受けているので、右金額は原告修三の本訴請求から損益相殺されるべきである。

四  被告の主張に対する原告らの認否

被告の主張1及び2は争う。同3は認める。

第三  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  請求原因について

1  請求原因1(当事者)及び2(本件医療事故に至る経過)の各事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因3(本件医療事故の発生)について

請求原因3の事実中、明子が一〇月二三日に本件血管造影を受けたこと、右検査は全部で一時間程度の予定だったこと、検査を担当した橘医師が、検査後に「途中で頭痛と吐き気を起こしました。」「念のためにCTを撮りましたが異常はありませんでした。」、「頸の腫瘍については、多分悪性のものではないと思いますが、開けてみないと判りません。」と説明したこと、明子が検査当日の夜三度嘔吐したこと、明子に付き添っていた原告修三らは明子がひどく苦しむため、何度も主治医を呼んだところ、しばらくして橘医師が来て「大分えらいようやなあ。」「大丈夫です。」と言って帰ったこと、その後、明子はいびきをかき始め、一〇月二四日午前四時二〇分過ぎころ突然心停止と呼吸停止に陥り、ICU室に移され、その後いったん蘇生したが、意識は回復しないまま経過し、約一ヶ月後の一一月二一日に死亡したこと、明子の直接の死因は脳卒中による急性呼吸停止であることは、当事者間に争いがなく、右事実及び証拠(甲二、乙一ないし四、七、一五、一七、二一の1ないし6、三五ないし三九、証人橘敬三、同原田晃、同遠藤哲、原告修三)を総合すれば、本件医療事故の発生状況は次のとおりであると認められる。

(一)  明子は、八月末頃右肩(頸)部の腫脹に気づき、九月七日、被告病院の整形外科外来で診療を求めた。当時の被告病院の整形外科には整形外科部長の遠藤哲医師(以下「遠藤医師」という。)、医師としての経験が約四年の橘医師、同経験が約二年の原田晃医師(以下「原田医師」という。)等の医師がいたが、明子を外来で診察したのは原田医師であった。明子は原田医師に対し、頸から肩にかけての緊張感、肩こり及び手のつめの痛みを訴えたため、原田医師は、明子の頸部のレントゲン検査を行い、レントゲン上異常のないことを確認したが、なお精査することとして、同月一八日にCT検査をする旨の予定を入れ、鎮痛剤を一週間分投薬した。明子は、同月一八日、頸部CT検査を受けたところ、右頸部に直径三センチメートル前後の軟らかい腫瘍が認められた。明子は同月二一日に原田医師の診察を受けたが、その際、「首のできものが時々ひどく痛むので非常に不安だ。よりくわしく調べて、あれだったら手術してほしい。」と述べて、悪性の腫瘍であれば手術を希望するとの態度を示した。原田医師は、この時にはまだ明子の腫瘍の性質は判断できないと考えていたが、手術を行うことを決定し、明子に対し入院及び手術を勧めてその予約をさせた。また、明子は、同月二一日に腫瘍マーカー検査(CEA、AFP)を受けたが、検査結果はいずれも正常値であった。

(二)  原田医師は、一〇月五日、明子に対し超音波検査(エコー)を実施し、その結果、腫瘍は直径五センチメートル大であることが判明した。また、右エコーの映像からは、明子の腫瘍が多房性の嚢腫状のものであることが看取されえたが、原田医師は、この時点でも、明子の腫瘍の性質については神経原性の腫瘍、血管原性の腫瘍、リンパ由来の腫瘍、悪性腫瘍の転移等のいずれにあたるかわからないと考えていた。明子は、同月一二日にGOT、GPT及びLDHの各検査を受けたが、右検査の結果は、いずれも正常値を示していた。

(三)  明子は同月一七日に入院したが、右入院以後は橘医師が原田医師とともに明子の診断に当たることになった。そして、橘医師は、手術するのであれば術前診断として検査をしたほうがよいとの遠藤医師の助言もあり、入院時に明子を診察したうえ、明子の頸部の腫瘍について、神経鞘腫、血管腫、類腱鞘腫、胎生期からの側頸嚢腫などである可能性を考え、検査としては造影CT、脊髄造影、血管造影を実施する方針を立て、翌一八日、造影CTを実施した。造影CTの結果はCT値が一〇から二〇という内容であったが、橘医師は右結果について腫瘍の内容物が水状のものであり、神経鞘腫である可能性は低く、無血管な嚢腫様のものであるとの所見であった。また、橘医師は同日、その後の検査予定を具体化し、同月一九日に脊髄造影を、同月二三日に血管造影を、同月二七日に骨シンチグラフィーをそれぞれ実施することを決定した。

(四)  原田医師と橘医師は、同月一九日、頸部腫瘍の脊髄への影響を調べる目的で明子に対し脊髄造影を実施したが、右検査の結果、腫瘍の脊髄への影響はないことが確認された。また、明子は、同日、腫瘍マーカー検査(CEA、AFP)を受けたが、検査結果はいずれも正常値を示していた。

(五)  橘医師は、同月二三日一一時、明子に対してイオパミロンテスト及びマーキシンテストを施行し、右検査の結果がマイナスであると判断のうえ、同日、以下のとおり本件血管造影を実施した。本件血管造影において、造影剤にはイオパミロン370が使用され、以下のとおり造影及び位置確認のために合計八〇ミリリットルの造影剤が明子の体内に注入された。

三時   ・ 血管撮影室に入室

三時一五分・ 局所麻酔のうえ、セルジンガー法による検査開始

・ 造影剤を二、三ミリリットル流して、カテーテルが血管の中に入っているかどうか確認

・ 腹部大動脈の分岐部で抵抗があったため、三ないし五ミリリットルの造影剤を流して(フラッシュ)、血管の方向を確認し、カテーテルの方向を変えたうえ、腹部大動脈へカテーテルを進める。

・ 大動脈弓の分岐部でフラッシュした後、左鎖骨下動脈にカテーテル先端を入れ、フラッシュしてモニターで位置を確認した後、造影剤を二〇ミリリットル使用して左鎖骨下動脈を撮影

・ 左鎖骨下動脈の撮影後、カテーテルを数センチ引き抜いてカテーテル先端を一旦大動脈弓に戻し、フラッシュして腕頭動脈の分岐部を確認し、カテーテル先端を腕頭動脈に入れ、フラッシュしてモニターで位置を確認した後、造影剤を一〇ミリリットル使用して腕頭動脈を撮影

・ 腕頭動脈の撮影に際し、総頸動脈及び静脈が腫瘤により圧迫されており、腫瘤が総頸動脈よりも深部にあることが確認されたため、椎骨動脈撮影を追加して実施することとし、カテーテル先端を椎骨動脈分岐部に進める

・ 椎骨動脈の分岐部で、カテーテル先端が椎骨動脈に入りにくかったため、二、三回フラッシュしてその都度カテーテルの位置を修正したうえカテーテル先端を椎骨動脈に入れる

・ 椎骨動脈にカテーテル先端を一ないし三センチメートル入れた状態で、再度フラッシュしてモニターで位置を確認した後、造影剤を八ミリリットル使用して椎骨動脈を撮影

四時   ・ 椎骨動脈撮影直後明子が頭痛と吐き気を訴えたため、直ちにカテーテルを抜去

四時一〇分・ 明子、胃液を嘔吐

(六)  橘医師は、明子が頭痛と吐き気を訴えている原因として造影剤の副作用を考え、脳浮腫の予防も含め、直ちにアレルギー反応に効果のあるステロイド剤のソルメドロール五〇〇ミリグラムの点滴を行い、状態が改善しないことから、さらにソルメドロール五〇〇ミリグラムを静注投与した。また、速やかに造影剤を体外に排出させて副作用の改善を図る目的で、利尿剤のラシックスも投与した。橘医師は、明子の症状が造影剤の副作用によるものか、脳梗塞ないし脳出血によるものかを造影室内で脳外科医と検討し、脳内出血であれば抗凝固剤の使用が症状の憎悪を招くおそれがあることから、経過を観察した後、全身状態が落ち着いてから、直ちに脳内のCT撮影を行ったが、この時点でCT上出血像等の明らかな異常はみられなかった。そこで、同医師は、明子の症状の原因として脳梗塞か脳虚血を考え、当日午後五時頃、明子を造影室から搬出して病棟に戻し、血液代用剤であるサビオゾール五〇〇CCと血栓溶解剤であるウロキナーゼ六万単位の投与を行った。さらに、同医師は、原告らに対し、経過観察の要を説明し、全身状態の急激な変化も予想されるので、心電図モニターをセットして、全身状態の観察を行った。その後も、明子は頭痛、吐き気、めまいや苦痛を訴え、体動も激しく不穏状態が続いたため、被告病院は静穏薬であるセルシンを使用した。

(七)  明子は、一〇月二四日午前二時より入眠し、血圧・呼吸とも安定していたが、午前三時より急激に血圧の上昇が起こり、午前三時三〇分には血圧が二〇〇を示し、午前四時二〇分に突然、心停止・呼吸停止の状態に至った。このため明子はICU室に移され、蘇生措置によっていったん蘇生したが、その後意識を回復することはなく、約一ヶ月後の一一月二一日に脳卒中による急性呼吸停止によって死亡した。

3  請求原因4(被告病院の過失)について

(一)  請求原因4(一)(不必要な検査を実施したとの過失)について

(1) 請求原因4(一)(1)のうち、脳血管撮影の場合、重篤な合併症を起こす危険性があり、その頻度が四パーセント程度であることは当事者間に争いがなく、証拠(甲九、一二ないし一四、一六、三三ないし三五)によれば、脳血管撮影の危険率は、脳梗塞やTIA(一過性脳虚血発作)などの神経合併症の発生の可能性が約四パーセント、永続的な後遺症を残す可能性が約一パーセント、死亡の可能性が0.1パーセント未満であって、高齢者や脳血管障害患者ではさらに頻度が高くなるので注意を要するものとされていること、放射線ヨード剤を使用した血管造影の危険率については、重篤な合併症の発生の可能性が0.3ないし0.03パーセント、死亡の結果を生じる可能性が0.5ないし0.01パーセントとの報告があること、頸部の腫瘤形成性疾患で動脈造影の適応となる疾患は少なく、血管原性腫瘤(海綿状血管腫、血液嚢胞)、動脈瘤、右下顎部に拍動性腫瘤として触れ動脈瘤と鑑別を要する蛇行性の右鎖骨下動脈、巨大で浸潤性の甲状腺癌、まれな頸動脈球腫瘍、脊髄腫瘍(血管奇形、血管芽腫)などに限られていることが認められる。

(2) そして、前記2で認定した各事実及び証拠〔甲一五の1及び2、二三ないし二六、三〇、三二、三五、乙二三、二四、証人橘敬三、同原田晃、同遠藤哲、同大森正樹、同平松京一、(第一回)、同横山穣太郎(第一、二回)並びに鑑定の結果〕によれば、明子の頸部腫瘤は嚢胞性のリンパ管腫であったこと、右腫瘤については、本件血管造影の施行されるまでに、被告病院の担当医師によって視診、触診、X線撮影、血清トランスアミナーゼ検査、乳酸脱水素酵素検査、腫瘍マーカー、超音波検査、CT、造影CT、脊髄造影が実施されていて、これらの検査の結果、腫瘤は無血管で多房状の嚢腫状のもので、内容物は水のような物質であって、腫瘍と脊髄とは関連がないことが判明しており、右腫瘤が進行した肝臓癌や消化器系の癌等である疑いも低い状況にあって、本件血管造影当時、明子の腫瘤の性質として可能性があったものは嚢胞性の良性リンパ管腫または嚢胞性の変化を呈する神経鞘腫であったが、造影CTの結果からすると神経鞘腫である可能性は低く、血管原性腫瘤、動脈瘤、巨大で浸潤性の甲状腺癌、頸動脈球腫瘍及び脊髄腫瘍等の血管造影が本来適応するとされている腫瘍はいずれも既に否定されていたこと、右のように血管造影が本来適応するとされているもの以外の腫瘍についても、血管造影を行った場合には、腫瘍への血管の取り込み具合が判明することにより、腫瘍の性質の診断に役立つことがないではないが、右はあくまでも補助的な役割にとどまること、神経鞘腫はその多くが実質性の腫瘍で、かつ、文献上、基本的には、良性の腫瘍であるとされていて、悪性の神経鞘腫は稀であることが認められ、右事実と前掲各証拠を総合すれば、明子の腫瘍については、本件血管造影がなされる前の段階で既に良性のものである可能性が客観的には相当程度高まっており、かつ、本件血管造影は、明子の腫瘍が良性か悪性かを鑑別するという見地からはほとんど意義を有しないものであったと認めることができる。

しかしながら、前記2で認定したとおり、橘医師及び原田医師は明子について腫瘍の摘出手術を行うことを決定したうえで本件血管造影を行っていることが認められるところ、前掲各証拠によれば、血管造影は三次元的な腫瘍の進展範囲を把握するためには有用な検査であり、頸部腫瘤の摘出手術を行うための術前検査としては必須ともいえるものであることが認められるから、腫瘍の良性、悪性の鑑別診断についての有用性がないことのみから本件血管造影が必要性及び有用性を欠くということはできない。

(3) そこで、明子の腫瘤の摘出手術の必要性及び手術決定の相当性につき判断する。

前記認定の事実並びに証拠〔甲二四、二五、三六、乙一七、二四、三九、証人横山穣太郎(第一、二回)、同橘敬三、同原田晃、同遠藤哲、原告修三及び鑑定の結果〕によれば、医師は患者の疾病が何であるかを判断した後に治療を行うのが基本であり、嚢胞性の頸部腫瘤についても、万一腫瘤が悪性なものである場合には安易な手術により周囲に播種する危険があること、良性腫瘤の場合でも手術の方法によっては取り残しによる再発や神経の切断等の危険があること、良性腫瘤については特に呼吸機能や循環機能に障害がない場合、美容上の問題を度外視すれば手術によらない観血的治療法もとりうること、腫瘍の性質の確定的な鑑別のためには手術により摘出した細胞を検査する方法のほかに穿刺吸引細胞診による方法があり、右検査については危険性ないし弊害もあるけれども、その有効性を強調する見解もあることなどから、腫瘍の性質が明らかにならない段階で手術を行うことについては慎重な姿勢をとるべきであるとする考え方が存すること、原田医師は明子の腫瘍の性質については未だ判断できないと考えていた九月二一日の段階で明子につき腫瘍の摘出手術を行うことを決定していること、右のとおり原田医師によって手術が決定された後は、被告病院の整形外科におけるカンファレンスの曜日が固定されていたこともあって、本件血管造影までの間に改めて被告病院の医師間でその後に実施された検査の結果を踏まえて明子に関する手術の必要性及び検査の必要性等につきカンファレンスがなされることはなく、橘医師も腫瘍が悪性か良性か分からないが手術しようと原告修三に述べており、整形外科部長である遠藤医師も原田医師から明子が腫瘍の痛みを訴えているので早く入院させてやってほしいとの要望を聞いた後に、手術するのであれば神経や血管を傷つけるといけないのできちんと検査してからにしたほうが良い旨アドバイスした程度で、そのため、明子については入院当初の予定どおり手術を前提とした検査が次々に実施されていったこと、明子には当初の受診後、頭痛、爪の痛み、右肩や手、足のしびれ、右足踵の痛み、首から肩にかけての痛み、頸部腫瘤の奥の痛み等のさまざまな愁訴が発現したが、右愁訴が頸部腫瘤に起因するものなのか心因性のものないし他の疾病によるものなのかは不明な状況であったこと、明子から腫瘤のために日常生活に困難が生じるとの訴えはなく、手術に関する要望も、悪性腫瘤であれば早く手術してほしいとの趣旨のものであったことが認められる。原田医師は本件血管造影については医師四名で相談をした旨証言するが、右証言は橘医師及び遠藤医師の各証言に照らしこれを採用できない。

右事実によれば、明子につき腫瘍の摘出手術を行う旨の原田医師の決定は、明子の腫瘍の性質に関する診断と無関係になされたものであること及び明子の訴えないし要望に的確に対応したものとも言いがたいことなどからして適切さを欠き、その後に行われた本件血管造影も、実際段階における手術の必要性及び検査の必要性に関する再検討がなされないまま漫然と実施されたものである点でやはり適切さを欠くものであるといわざるをえない。

しかしながら、前掲各証拠によれば、手術により腫瘍を摘出して細胞検査することは腫瘍の性質に関する最終的診断法の一つであること、完全摘出が腫瘍の最良の治療法であること、摘出の時期を逸すると腫瘍が巨大化して治療が困難になる場合がありうることなどを根拠に、腫瘤の性質についての最終的診断がつかない状態でも早期に手術することについて積極的な立場をとる医師もあり、手術決定については医師の裁量の側面が強いことが認められるから、右事情のみから右手術決定及び手術を前提とする本件血管造影が医学的相当性を欠き、その実施が直ちに医師としての注意義務に違反するとまではいえない。

(4) 次に、椎骨動脈撮影の必要性について判断する。

証拠(甲三五)によれば、頸部疾患に関して血管造影が実施される場合に対象となる血管には椎骨動脈も含まれることが認められるから、一般的に頸部腫瘍につき椎骨動脈撮影を行うことが不必要であるとはいえない。

そして、本件において椎骨動脈撮影を実施することが過失に該当するかについては後記(三)記載のとおりである。

(二)  請求原因4(二)(説明義務違反)について

(1) 医師の診断又は治療のための行為が患者の身体やその機能に影響を及ぼす侵襲に相当する場合、患者は自己の生命、身体、機能をどのように維持するかについて自ら決定する権能を有するのであるから、医師は、原則として、患者の病状、医師が必要と考える医療行為とその内容、これによって生ずると期待される結果及びこれに付随する危険性、当該医療行為を実施しなかった場合に生ずると見込まれる結果について、患者に対し説明し、承諾を受ける義務があり、承諾を得ずにした前記のような侵襲行為については医師は私法上違法の評価を免れることはできないと解される。そして、前記(一)(1)のとおり、血管造影は侵襲を伴う検査であり、患者に重篤な合併症を発生させる可能性が存し、その危険性は低いものではないから、このような検査を実施するに当たっては、医師は右のとおりの説明義務を負うものというべきである。

(2) 被告は、平成元年一〇月二一日に担当医が明子に対し、本件血管造影を行う旨及びその目的、必要性、内容、副作用等を説明し、承諾を得た旨主張しており、証拠(甲二、乙一二、一七、証人原田晃、原告修三)によれば、遠藤医師は入院当初に明子を診察した際に、検査をせず手術して首が回らなくなったり手が動かなくなったりするといけないので検査の必要性があると述べたこと、原田医師は平成元年一〇月二一日の夜、被告病院の看護婦詰所で、明子に対し、明子の腫瘤に関する本件血管造影の必要性について、大略「今までの診察、検査によって右の頸部に五センチ大の袋状のできものができていることが分かっています。しかし、これが悪性か良性かということについてははっきり断言することができません。もう少し詳しい検査を行って、そのできものの性状について検査したほうがよろしいと思います。その次の検査というのは、血管造影という検査をしたほうがいいと思います。」と述べた後、その実施方法、検査により判明する具体的な事項及び検査の危険性につき一般的な説明をなしたこと、これに対して明子は「お願いします。」と述べたことの各事実が認められる。

原田医師の説明は、本件血管造影が明子の腫瘤の性質について良性か悪性かを鑑別する目的でなされるものであるとの印象を患者に与えるものであるところ、前記認定のとおり、本件血管造影は腫瘤の鑑別には意義を有しないのであって、原田医師の証言によれば同医師も本件血管造影が腫瘤の鑑別には意義を有しないことを認識していたと認められるから、同医師は明子に対して本件血管造影の必要性につき誤解を与える内容の説明をしたというほかない。また、前記認定の各事実によれば、本件血管造影のなされた時点においては、明子の腫瘤が悪性のものである可能性は客観的に相当程度低下していたが、原田医師は当時右事実を認識していなかったことが認められるから、原田医師は明子に腫瘤の性質が悪性のものでない可能性が高いとの事実を説明していないというべきである。

前記のような血管造影の危険性に照らせば、右の点は一般的にみても患者が侵襲性を伴う血管造影を受けるか否かを決定するにあたり極めて重要な情報であるものと考えられるうえ、前記認定のとおり明子は当初から原田医師に対して悪性の腫瘍であれば手術してもらいたい旨の希望を伝えており、しかも証拠(乙一七、原告修三)によれば、明子は脊髄造影及び本件血管造影については相当程度の不安を抱いていて、脊髄造影の前には看護婦にも不安を訴えていたけれども、癌を始めとする悪性腫瘍の可能性を危惧して脊髄造影及び本件血管造影を受けることを承諾したものであることが認められるから、腫瘤が悪性であるか良性であるかの点及び本件血管造影の実施目的の点は本件血管造影に関する医師の説明内容として欠くことのできないものであったというべきであり、この点について正しい情報を提供しなかった原田医師の前記説明は説明義務を尽くしたものとは認められず、このような状況下でなされた本件血管造影は明子の自己決定権を侵害するものとして違法性を帯びるものというべきである。

なお、右認定のとおり、遠藤医師及び原田医師は術前検査としての本件血管造影の必要性について明子に対して概括的な説明をしていることが認められるが、前記認定のとおり、原田医師は腫瘍が悪性のものであれば手術してほしい旨の明子の意思表示に半ば反する形で、腫瘍の性質の判断根拠につき明子に詳しい情報を与えないまま、自らも腫瘍の性質につき判断を棚上げした状態で手術を行うことを決定し、その決定を見直す機会を持つことなく本件血管造影に関する明子の同意を得ていることが認められるところ、このような手術決定の方法はそれ自体患者の自己決定権を侵害するものというべきであるから、右手術決定を前提とする術前検査につき仮に明子の真摯な承諾があったとしても、手術決定そのものに関して明子の自己決定権に基づく適法な承諾がなされていない以上、術前検査についても説明義務違反の違法性が及ぶというべきである。

(三)  請求原因4(一)(4)、(三)及び(四)(椎骨動脈撮影を実施した過失、カテーテル操作の過失及び造影剤選択の過失)について

(1) 右(一)及び(二)で判示したとおり、被告病院の担当医師による手術決定及び本件血管造影には、十分に必要性が吟味されたうえでなされていない点で問題があり、このことに起因して明子は正しい事実認識に基づかずに本件血管造影を承諾しているから、本件血管造影には前記(二)のとおり違法性がある。このような場合でも、明子の腫瘤の治療及び診断の目的で腫瘤の摘出手術を行うこと及び右手術を前提として本件血管造影を施行すること自体に客観的な医学的相当性があり、それが医学的にみて適切な方法で実施された場合には、右手術または検査から生じた結果と説明義務違反の過失との間には因果関係がないというべきである。

しかしながら、このような場合には右手術または検査が患者の適法な承諾に基づかずに行われる医療行為であることから、その実施方法に関する医師の裁量の範囲は自ずから狭いものになると解すべきであり、医師はその当時の医学的水準に照らして患者に対し加えられる侵襲が最小限のものとなるような方法を選択すべき職務上の注意義務を負い、かつ、医療行為の実施に当たり負う注意義務も通常の場合に比べて高度のものとなるというべきであり、このような注意義務に反して検査または手術を実施した場合、当該医師には過失があるというべきである。

(2) 請求原因4(三)の事実中、無理なカテーテル操作による刺激が血管造影の合併症の一つの原因となること、同4(四)の事実中、本件血管造影にイオパミロン370が使用されたこと、椎骨動脈撮影が脳血管撮影にあたること及びイオパミロン370の添付文書の効能・効果欄において同造影剤を脳血管撮影に使用することが予定されておらず、脳血管撮影にはより濃度の薄いイオパミロン300を使用することとされていることは当事者間に争いがなく、証拠〔甲四ないし七、九、一二ないし一四、一六、二九の1及び2、乙二五ないし二九、証人平松京一(第一、二回)〕によれば、本件において椎骨動脈撮影を実施した場合には、腫瘤の摘出手術がより行いやすいというメリットはあるものの、それまでに実施した左鎖骨下動脈及び腕頭動脈の撮影結果のみを資料として摘出手術をすることも不可能ではなく、術前診断との意味から見ても椎骨動脈撮影の必要性は低いこと、血管造影の際には撮影及びフラッシュの都度造影剤を補充するため、椎骨動脈撮影の際に造影剤をイオパミロン370から同300に交換することは技術的には可能であったこと、イオパミロン370が一ミリリットル中に含有するヨード量は三七〇ミリグラム、生理的食塩水に対する浸透圧比は約四、摂氏三七度における粘稠度は9.4CPであるのに対し、イオパミロン300のヨード量は三〇〇ミリグラム、浸透圧比は約三、粘稠度は4.4CPとなっていて、イオパミロン300は同370に比べると造影効果はやや低いものの人体に対する刺激及び中枢神経に対する影響(攣縮その他の副作用)が少ない薬剤であるということができ、このために添付文書の効能・効果欄には脳血管撮影についてはイオパミロン300のみを使用すべきものとの記載がなされていること、イオパミロン370を製造している製薬会社は、医師がより鮮明な造影効果を求める目的で脳血管撮影についてイオパミロン370を使用することは許されないことではないが、会社としては脳血管撮影についてはイオパミロン300を使用するよう希望するとしていること、イオン性造影剤であるウログラフィンに関しては、ヨード量と粘稠度及び酸性度がイオパミロン300とほぼ同じである六〇パーセントウログラフィンと、右がイオパミロン370とほぼ同じである七六パーセントウログラフィンを比較した場合、七六パーセントウログラフィンの副作用発現率が六〇パーセントウログラフィンよりも有意に高いから、脳血管撮影については六〇パーセントウログラフィンを使用すべきであり、あえて七六パーセントウログラフィンを使用する場合には十分に注意して使用するべきであるとの報告がなされていること、イオパミロンは非イオン性造影剤であり、ウログラフィン等の従来のイオン性造影剤と比べると、造影に必要なヨード濃度における浸透圧濃度が低い反面、同一濃度のイオン性造影剤に比べて血液凝固を抑制する作用が低いとの報告や、イオン性造影剤に比べると投与直後のショックの発生率は低いが、遅発性ショックの発生率は高くなる旨の報告もあること、血管造影の際、腕頭動脈や鎖骨下動脈に造影剤を注入した場合にも相当量の造影剤が脳へ流れることが認められる。

右認定事実からすると、本件のように頸部腫瘤の手術及び血管造影検査の実施につきいずれも患者の適法な承諾を得ていない医師が頸部腫瘤の術前診断の目的で右検査を実施する場合、必要性が低く、かつ患者への侵襲性の高い椎骨動脈撮影を追加して実施することは避けるべきであり、あえてこれを実施する場合にも、患者への副作用の発現を防止する観点から、使用する造影剤は可能な限り刺激の少ないものを使用すべきであり、また、椎骨動脈へカテーテルを進めるについて困難がある場合には、何度も進入を試みるとその刺激により血管の攣縮やアテロームの飛散による血管塞栓等を引き起こす可能性もあるのであるから、無理に椎骨動脈へカテーテルを進めることは避けるべき業務上の注意義務が課されるものと解すべきである。

しかるに、前記のとおり、橘医師は本件血管造影の際、当初予定していた左鎖骨下動脈及び腕頭動脈の撮影を終了した後、薬剤を交換することなく、それまでの撮影に使用していたイオパミロン370を引き続き使用して椎骨動脈撮影を急遽追加して実施することとし、その際、椎骨動脈にカテーテルを進入させるのに手間取り、二、三回フラッシュを実施した後、カテーテル先端を椎骨動脈に入れていることが認められるから、同医師にはこれらの点につき過失が存するというべきである。

なお、鑑定の結果中、鑑定人平松京一の作成部分には、椎骨動脈撮影の際には分岐部において撮影を行ったとのことであるのでイオパミロン370を使用しても問題がない旨の記載があり、証人平松京一の第二回の証言中にも、橘医師はカテーテルを約一センチメートル椎骨動脈に挿入するにとどまっているので、造影剤の一部が逆流する可能性があり、また、多少は造影されない血液が流れ込んできて造影剤が希釈される効果もあったと考えられるとの部分が存するが、乙三七号証によれば造影剤のほとんどは逆流することなく脳に向かって流れていることが認められるので、右各証拠は前記判断を左右しない。

4  そこで、進んで請求原因5の(一)及び(三)(右過失と明子の死亡との因果関係)につき判断する。

証拠〔甲五、六、一五の1及び2、乙四、七、八、三八、証人大森正樹、同平松京一(第一回、二回)、鑑定の結果〕を総合すると、明子は、椎骨動脈撮影の際のカテーテルの刺激または造影剤による刺激が原因となって、脳血管が血管攣縮(スパズム)を起こし、あるいは脳血管中に血栓が形成されたために、椎骨動脈から脳底動脈に至る部分で脳梗塞を起こし、さらに脳出血、脳水腫を経て、脳ヘルニア、血行障害のために二次的な血栓が形成され、脳軟化、髄膜炎を合併して、レスピレーター脳症を経て死亡したものであると推認できる。

被告は、明子の死亡の原因が造影剤の副作用にあるのであれば、血管撮影を開始し、造影剤を注入した直後に血圧低下等が発症するはずであると主張しており、前記2で認定したとおり血管撮影室出室前の明子の血圧に大きな変化はないことは認められるが、他方、前記3(三)(2)で認定したとおり、非イオン性造影剤には遅発性の過敏反応が発生するとの報告もあること、明子に生じた脳血管の異常と直接関連性を有すると考えられる吐き気等の症状は椎骨動脈撮影の直後に発生しているところ、椎骨動脈撮影によって明子の脳の血管に造影剤が直接多量に流入していることを併せ考えれば、それまでの撮影の際に生じていなかった副作用が椎骨動脈撮影の際に発現したことは何ら奇異とするに当たらないから、被告主張の事実は前記認定を左右しない。

また、被告は、明子には脳底動脈硬化症及び脳動脈の器質化と再疎通の所見があるから、本件医療事故以前にも脳動脈閉塞を起こしていることが窺われ、このような血管障害を起こしやすい明子の体質が本件事故に大きく寄与していたことは否定できず、このように血管障害を起こしやすい脳組織の病変・体質が原因となって、いずれ生ずるべき脳梗塞等の脳血管障害が、本件血管撮影時にたまたま不幸にして発症してしまった可能性も否定できない旨主張しており、甲一五号証の1及び2並びに証人大森正樹の証言によれば、本件血管造影前から明子の脳底部諸動脈に動脈硬化があったこと及び死亡当時において明子の脳動脈には器質化と再疎通の所見があったことが認められる。しかしながら、証人大森正樹の証言によれば、明子の脳動脈の器質化と再疎通の症状は、本件医療事故の後に発生したものである可能性も払拭できないこと及び明子の脳底部動脈に見られた動脈硬化症は明子の日常生活に影響を及ばさない程度のものであったことが認められるから、被告の主張はこれを認めることができない。

5  被告の責任

以上の次第で、橘医師には必要性が乏しくかつ危険性の大きい椎骨動脈撮影を行い、かつカテーテルの進入につき困難があったのにあえてこれを椎骨動脈に進入させ、しかも添付文書の用法に反して造影剤を使用した過失が存するところ、明子の死亡の結果と右各過失との間には相当因果関係が存すると認められるから、その余の点について判断するまでもなく、被告病院を開設し、橘医師を使用している被告は、民法七一五条により原告らに発生した損害を賠償すべき責任を負う。

6  損害

被告の前記不法行為により生じた原告らの損害は以下のとおりであると認められる。

(一)  逸失利益

前記のとおり明子は昭和一二年二月二六日生まれの女性で、死亡当時五二歳であるところ、原告合田修三本人尋問の結果によれば、明子は家事のかたわら会社勤めをしていた事実が認められるから、当時の同年齢の女子労働者の平均賃金と同額の収入を六七歳まで得ることができたものと推定できる。そして、明子の死亡当時である平成元年の賃金センサスによる同年齢の女子労働者の産業計、企業規模別計、学歴計の平均年収額は二七九万九五〇〇円であり、原告ら主張の二六九万三四〇〇円を上回っているから、明子が原告ら主張の金額である二六九万三四〇〇円の収入を一五年間得ることができ、その間三〇パーセントの生活費を使用したとした場合の逸失利益を新ホフマン方式により中間利息を控除して計算すると、その金額は二〇七〇万三三五七円となり、少なくとも原告ら主張の二〇〇〇万円を下らない。

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そして、請求原因1(一)の身分関係からして、右二〇〇〇万円につき、原告修三は二分の一に相当する一〇〇〇万円、原告裕美及び同知恵子は四分の一に相当する各五〇〇万円をそれぞれ相続したものというべきである。

(二)  慰藉料

前記認定の不法行為の態様、結果の重大性、その他本件訴訟にあらわれた諸般の事情を考慮すると、明子の死亡によって夫である原告修三に生じた精神的苦痛を慰謝するために必要な金員の額は一〇〇〇万円、子である原告裕美及び同知恵子については各五〇〇万円と認めるのが相当である。

(三)  墳墓・葬祭費

弁論の全趣旨によれば、明子の死亡により墳墓・葬祭費として金一〇〇万円の支出を要し、右費用を原告修三が負担したことが認められる。

二  抗弁(損害の填補)について

原告修三が、平成五年四月ころ、医薬品副作用被害救済・研究振興基金から遺族一時金として金六〇〇万一二〇〇円及び葬祭料として金一二万七〇〇〇円の合計六一二万八二〇〇円の支払を受けたことは当事者間に争いがなく、右は原告修三の損害填補の性格を有するものと認められるから、右合計金額は原告修三の損害から控除されるべきである。右損益相殺により、原告修三の損害額は金一四八七万一八〇〇円となる。

三  弁護士費用について

原告らが本件訴訟の提起を原告ら訴訟代理人に依頼したことは当事者間に争いがなく、本件事案の性質及び右認定にかかる原告らの損害額等を考慮すると、本件不法行為と因果関係のある弁護士費用の額は、原告修三につき金一五〇万円、原告裕美及び同知恵子につき各一〇〇万円と認めるのが相当である。

四  結語

以上の事実によれば、原告らの本訴請求は、原告修三につき金一六三七万一八〇〇円、同裕美及び同知恵子について各金一一〇〇万円及びこれらに対する不法行為の後である平成元年一一月二一日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条及び九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行免脱宣言については相当でないからこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山脇正道 裁判官橋本都月 裁判官佐藤正信)

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